寺山修司著作集<4>(寺山修司)

それもまた大学の図書館から、寺山修司の著作集<4>を借りてきた。
しかし、どうしてこんなに日本文学(しかも原語で)が揃っているのか。前の記事で述べた安部公房全集から、三島由紀夫から、果ては古今和歌集万葉集の現代語訳、日本語言語学の本から何から何まで。到底読み切れない程の数の日本語の本が置いてある。文系図書館の五階の、棚の数で言えば4、5つぐらいなのだが、そこにいるとつい日本の図書館へ来た気分になる。
安部公房全集なんて、一度も開いた形跡がない。何故かと言うと栞紐が全部見事に真ん中へ、綺麗なまま挟まっているからだ。

とにかく。
私にとっての寺山修司は映画『田園に死す』のみであった。一体何をやっている人なのか知らなかった。寺山好きの知人に映画を見させられ(半強制的とも言える)たのが初めての寺山体験。職業は寺山修司だからと聞かされ、なるほどなと思った。そりゃ、一体何をやっている人なのかわかるわけがない。
私は寺山修司ファンではない。映画も好きなほうだし、彼の文章も嫌いなわけではないようだ。ファンではないが嫌いではない。「まあ、好きですね」というくらい。寺山修司ファンというのは、寺山の作品が好きだというよりも、寺山修司本人が好きで好きで堪らないのであろう。書き手に相当の興味と好意がなければ、あのような自己顕示欲に溢れた文章を、「ファンです」とは言えないような気がするのだ。私に『田園に死す』を勧めた知人はその、「ファン」だった。寺山作品だけではなく、それを通して寺山本人が好きで好きで、競馬を嗜み、エキセントリックな映画を撮り、恐山に旅行へ行った。例えば顔を白塗りにする若者たちは決して寺山ファンなのではなく、寺山作品好きなのだろう。彼らが競馬をしたり恐山に行ったりすることはあまり想像できない。

映画も一本しか見ていないし、本も『著作集<4>』しか読んでいない。この本に入っているものは自叙伝的なものが多かったので「強い自己顕示欲の持ち主」と言う印象を抱いたのは当たり前かもしれないが。それでも彼はドメスティックな作家だと思う。自身の経験が作品の軸になっている。

それに比べて、よく言われているように、安部公房は「無国籍」作家だ。作品の軸は自分の経験というよりも自分から出たもの(夢とか)。書き手は安部公房という主観だが、文章は分析結果のレポートのような客観性を感じる。それは自身の経験がその軸(夢や外界に存在するもの)を支えているだけに過ぎないからか。

『書を捨てよ、町へ出よう』の『私は地理が好きだった』にこんな一節があった。
「私は、自分にとって自分自身はつねに絶対的な存在であり、相対的な存在ではありえないと考える。」
この一節で、彼のドメスティックでプライベートな内容の作品の理由が何となくわかった。

寺山修司著作集 第4巻 自叙伝・青春論・幸福論

寺山修司著作集 第4巻 自叙伝・青春論・幸福論

安部公房三島由紀夫は同世代で、寺山修司は10若いが、三人も本を書き、評論を書き、舞台へと活動範囲を広げ、(安部公房は脚本のみだったにせよ)最終的には映画と言う媒体へも参入した。そこで彼らの相違点と類似点を考えたくなった。考えて見れば見るほど相違点ばかりなのだ。

そもそも寺山修司というのは、田舎の作家なのだ。東京に対して漠然と憧れを抱いていた、東北の、それも青森というまた独特の土地出身の作家なのだ。だから彼の作品は土着的で閉鎖的になる。それに比べて三島由紀夫は都会の男で、育ちも良い。成長過程に余裕が有り余るほどあるから、表題があらゆるものに及ぶのだろう。例えば「母殺し」や「上京」に括る必要がないのだ。安部公房と言えば満州育ちで知られているが、その国境のグレーゾーン的な場所での影響なのだろう。それが「無国籍作家」へと繋がっていったように思う。

と、まあ、自分の見解を述べてみたものの、述べられるほど読み込んでいないのが問題。
詳しい人に話してもらいたいなあ。