第九地区

英語の授業で第九地区を見た。
あらゆることに対しての皮肉と娯楽性を兼ね揃え、政治性メッセージは仄めかす程度に抑え、SF・アクション・ミリオタ・B級好き等様々なファン層の心を掴んでしまった、とにかく良く出来た映画だった。


テストに出るので、覚え書き。

・主人公ヴィカスのアンチヒロイズム、どのようなキャラクター設定がなされているか、何を表しているか
竜頭蛇尾と言うか、肝心なところで失敗をする。自分の利益(義父からの認知)の為に動く、実に利欲的なキャラクター。エイリアンに対して友好的態度を取るも、誰よりも彼らを嫌悪しているのはヴィカス本人。前半は義父からの認知という利欲のためエイリアンを迫害、後半は人間へ戻るためにMMU職員を殺害、さらにはパワードスーツを着て殺しまくる(ちなみにここら辺のシーンは笑いが止まらなかった。あのミサイル、確かに板野サーカスっぽい)。が、クリストファーを守るために自分を犠牲にすると言う、最終的には「典型的ハリウッド的ヒーロー」化。ハリウッド的ヒーローへのクリティシズムもあるのだろうか。アメリカに舞い降りるべき宇宙人たち(ハリウッドでは宇宙人はアメリカに降り立つが、もちろん理由は無い。何故アメリカなのか?それはハリウッドだからだ)が南アフリカへ居住している時点でそうか。
自分の利益を追うヴィカス本人に人権はあるが存在価値は無い。MMUにとって彼はつまり使い捨ての武器みたいなものだ。彼に価値が出てくるのはエイリアンとの統合後。MMUはヴィカスの価値を認めるが、人権は無い。そこで自分の利欲を追うヴィカス、ヴィカスの利用性を追うMMUというラインが出てくる。人間は誰一人として人のためになることをしていないのだった。

・グロテスクな暴力表現、アクションの効果と理由
娯楽作品と見せかけつつ、実際に南アフリカで起きていたアパルトヘイト政策の残虐さを感じる。短絡的に考えたら、エイリアン=差別されていた黒人と置き換えて作ってあるのだろうけど、この作品内での黒人の立場はどうなっていたんだろう?白人>黒人>エイリアン、と言う感じで、むしろエイリアンという共通の敵を持ったある種の同志だったのかもしれない。と言うか、エイリアンの登場に寄って白人の差別対象が黒人からエイリアンに、そして黒人もエイリアンを差別にし底辺から脱出出来ているんじゃ。

・ドキュメンタリー効果、ヴィカス視点
ドキュメンタリー効果のおかげで、エイリアンを外側から認識することができる前半。スラム化が進む第九地区、まるで動物のような、とにかく厄介者のエイリアンたち。ヴィカスがクリストファーと共同体になり、初めて第九地区の内側からエイリアンを眺める(と言うより寧ろ、第九地区側からMMU含む地区外の人間を見る)。ヴィカスの目を通し、クリストファーとその息子に感情移入が可能になる。

アパルトヘイトとの関連具合
言わずもがな。

・変身前のヴィカス、変身後のヴィカス
MMUにとって:
人間のヴィカス=無価値
エイリアン化したヴィカス=希少
ヴィカス本人:
変身前:残忍性の高い利欲的な存在、とにかく自己中心的
変身後:共通の目的達成のためにクリストファーと共同作業
さらにラスト:クリストファーの「ため」に自分を犠牲にすると言うハリウッド的ヒーロー化
嫌悪していたエイリアン化したことで人間らしくなる皮肉、と言えるのかもしれないが、何故「人のために自分を犠牲にする」ことが人間らしいのだろうか。本当の人間らしさって、それこそ前半の私利私欲だらけのヴィカスのほうが人間らしいのでは。
っていう皮肉か?

・クリストファーを助けることにしたヴィカスの心変わり
ハリウッドへの批判だと思うんだけど。

・一番人間らしい(且つ感情移入が出来る)キャラクター:クリストファーが持つメタファー
これはヴィカスの目が必要になる。ヴィカスを通さなければ私たちはいつまでもクリストファーをエビの一部としか認識出来ない。

・4つのストーリーライン(エイリアンを退去させるMMU、人間に戻りたいヴィカス、仲間を助ける目的を持ったクリストファー、欲のままに動くナイジェリアン・マフィア)
・3つのグループ(一見正義のようなMMU、ヴィカス・クリストファーの同目的の共同体、絶対悪のナイジェリアン・マフィア)


第9地区 [DVD]

第9地区 [DVD]