鶴は翔んでゆく

1957年、ミハイル・カラトーゾフソ連映画
いわゆる「雪解け」がソ連で始まっている中、フランスではヌーヴェルヴァーグが起こっていた。ゴダールの『勝手にしやがれ』が60年。『鶴は翔んでゆく』はその3年前。
勝手にしやがれ』は授業でも取り上げたし(インターテキスチュアリティと非連続編集の題材として)、映画史の中で(特にヌーヴェルヴァーグの時期)も重要な作品だと言うことはわかっているのだが、3年前にソ連でこんな素晴らしい作品が撮られていたというのもまた、凄いことだと思う。ゴダールがなんだ、ラウール・クタール(『勝手にしやがれ』の撮影)がなんだ!と、つい思ってしまうのだ。

オープニングショットからしてとても良い。楽しそうな2人と明るいアコーディオンと美しいロケーション。手前からフレームインしてきた2人がスキップしながら画面の奥に行くまで、ずっとカメラが追い続ける。鶴が空を飛ぶショットの次の、俯瞰で撮ったロングショットが凄く良い。放水車にも気付かないくらい夢中になっている。そしてその後の2人の運命を考えると、さらにつらくなる程美しく見える。
タイトルが出たあとのベロニカ宅(タチアナ・サモイロワ)で、音楽とともにボリス(アレクセイ・バターロフ)が一気に階段を駆け上がるシーンがあるのだが、そこもまた良い。見ていて気持ちがいい。そしてその後に同じ手法が使われているシーンがあるのだが、それがこの駆け上がるシーンによって強調されている(そのためとても悲しくなる)。

ベロニカが走り出して自殺するために線路へ飛び出そうとするシークエンスも凄いし(手持ちカメラでブレブレ、ベロニカのPOVだったり真下から撮ったり汽車とのモンタージュだったり)、他にもベロニカが群衆をかき分けて(というより、なぎ倒して)進むロングテイクや、ボリスの従兄弟に空襲の中迫られるシーンのモンタージュも良い。しかし、オープニングの美しさは別格。とても感動した。
映画で好きなシーンはと聞かれたら、これから「『鶴は翔んでゆく』のオープニング」と答えよう。

ラストは少しプロパガンダっぽいのがなんとも言えないが、でもとても良い映画だった。観客に向かって試しているような『勝手にしやがれ』と違い(語弊がある一言だが)、ソ連映画というのはダイレクトに伝えるものが明確だからか、より映画らしいと言えると思う。プロパガンダ映画の名残なのかなんなのか…、もっと詳しくわかるには歴史も知っておいたほうがいいのだろうな。


鶴は翔んでゆく【デジタル完全復元盤】 [DVD]

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ベロニカのちょっと小悪魔っぽい感じがまたキュートだし、若い頃のバターロフもとても良い男だ。彼は、年を重ねても(『モスクワは涙を信じない』ぐらいしか知らないが)若くても良い男だなあ。