映画学:ドキュメンタリー映画 <ドキュメンタリーの始まり>

覚え書き。
ちなみに教科書はビル・ニコルズの『ドキュメンタリー入門 (2010)』を使っています。

1826年にニセフォール・ニエプスが写真を発明、1839年にはルイ・ダゲールによるダゲレオタイプ1840年には複製可能な写真、1867年にゾーエトロープ、1888年にはコダック・カメラとフイルムの発売。その中でもエドワード・マイブリッジは運動をコマに分けることに興味を示し作品をいくつか残す。1882年にエティエンヌ=ジュール・マレーがカメラ銃で「物事がどのように動くか」の研究のため撮影。
実際の生活、現実性(actuality)を捉えることに重心が置かれ、フィクションの存在はこの時点ではそれほど重要ではない。

トーマス・エジソンが1891年にキネトスコープを発明、フィルムスタジオも設立。
エジソンの作品はどちらかと言えばアーカイブ的、記録的なものが多い。「カメラを意識」というよりも「カメラによって撮られていることを意識」し、第四の壁も薄いながらも発生している。

一方、リュミエール兄弟も映画を作り始める。
リュミエール兄弟の作品はエジソンのものとは違い、スタジオ外で撮られたもの、被写体はパフォーマーではない一般人が多い。被写体も「カメラ」を意識していることが明らかにわかる。撮られていることよりもカメラそのものに対しての意識をしつつ、彼らは彼らが行う動作そのものに集中している。

ロバート・フラハティについて。
世界初の長編ドキュメンタリー映画を作る。彼自身は映画制作者と言うよりも探検家。
1922年の『極北のナヌーク』は世界的に大ヒットした。ナヌークたちの話をエピソード毎に、インタータイトル等を利用し伝える。フラハティ自身は『視覚的詩人』とも呼ばれ、そのロマンチスト性によりナヌークを理想化していると批判されることもある。

ドキュメンタリーをどう定義すべきか?
ドキュメンタリー作家ジョン・グリアソンは「現実性の創造的な処理("the creative treatment of actuality")」と1930年代に定義した。その言葉は、現実と創造の差・関係を明確にし、さらに「創造的な処理」の裏には媒介者(映画製作者)がいることを示している。

映画評論家ビル・ニコルズは自身の著作『ドキュメンタリー映画入門』"Introduction to Documentary" (2010)で、ドキュメンタリー映画をいくつか定義付けた。
(1)ドキュメンタリーはリアリティ(実際に起きた出来事)に基づく
 ・ドキュメンタリー映画内には実際に出来事を経験した人間が出てくる
(2)ドキュメンタリーは実際の人々に基づく
 ・映画内で人々は演じたり、自身の存在を主張しない