オブローモフの生涯より

いやあ、良かったです。個人的にこういう映画大好きです。
人生にWHYを求めるオブローモフと、HOWを求めるシュトルツ二人の友情。映像も美術も素晴らしいです。建物なんか最高ですね。ゴージャスの極み。
背景には、田舎出身貴族のデカダンス

オブローモフは怠惰で、まるで子供のようなオジサンだが、確かに慕われるキャラクターではある。アレクセーエフはじっと話を聞いてくれ、使用人ザカールも文句を良いながらも仕えてくれる。それはオブローモフがあまりに純粋だからなんだろうな、という薄っぺらい印象。昔を思い出し、人生観をシュトルツに語るシーン。話しながら涙を流す。ああこの人はピュアなんだろうな、と感じられる。それに対して、シュトルツの表情は吐き出した煙で掴めない。シュトルツはそんなオブローモフをどう思っているんだろうか。羨ましいんだろうか。自分も昔はこんな考えだったな、と、懐かしんでいるんだろうか。

ラストのオブローモフの背中からのショット。
大感動しました。オブローモフの受け入れが伝わってくるようだった。

ミハルコフの映画は他に『戦火のナージャ』しか見ていないのですが、なんだかとても大河的な気がします。映画らしい映画と言えば良いのかもしれない。美しい映像、美しい音楽、受け入れやすい物語、余韻を残すエンド。

『モスクワは涙を信じない』もそうでしたが、ソ連映画を見ていてロシア文化を学べるところが楽しいです。ロシア式サウナのバーニャ、夏のダーチャ(別荘)、ウシャンカ帽子。『オブローモフの生涯より』には出なかったけれど、サモワールなんかも。

そういえばイラン映画もしょっちゅうサモワールと言うか、お茶を飲むシーンが出てきますね。『少女の髪どめ』はお茶汲みが演出の一部だったし、同じくマジディの『運動靴と赤い金魚』でもサモワールが出ていたし、他のイラン映画でも何度か目にした記憶がある。

こういう映画って凄く好きなんですが、逆にとても考えにくい。
多分あまりにも登場人物に感情移入してしまうせいかもしれない。

ところで、自分の中で丁度良い尺の映画って90分か100分なんですが、ロシア映画は大体120分以上の作品が多いような気がします(対してイラン映画は90分ちょっとが多い)。「140分の映画」だとうへえ、見るの大変そうだ、と思うのですが、「140分のミハルコフの映画」は何故か短いなと思ってしまいませんか?

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